PyCon JP Association代表理事であり日本のPythonistaの牽引役として活躍されている寺田学氏。コミュニティ活動を中心に技術者としても企業としても成長させるために大事にしてきたことを語っていただきました。
【プロフィール】
寺田 学(てらだ まなぶ)
一般社団法人PyCon JP Association 代表理事
一般社団法人Pythonエンジニア育成推進協会 顧問理事
Plone Foundation Ambassador
PSF(Python Software Foundation) Fellow member 2019Q3 & Contributing members
株式会社CMSコミュニケーションズ 代表取締役
国立大学法人一橋大学 社会学研究科地球社会研究専攻 元客員准教授
1970年生まれ。2005年にPython製WebサーバZope/Python製CMS Ploneに特化したCMSコミュニケーションズを起業。国内でも早い段階からPythonでのシステム開発を手掛けており、Ploneのコアコミッターとしても活躍。2010年にアジアで初めて開催されたPyCon APAC 2010 シンガポールに参加し翌年には日本でPyCon JPを立ち上げ、現在は一般社団法人PyCon JP Association代表理事を務める。機械学習図鑑(翔泳社: 2019年4月)などPython著書・監修も多数手掛けている。最近はPythonをはじめとした技術話題を気軽に発信するPodcast「terapyon channel」(https://podcast.terapyon.net/)を配信中。
Twitter: @terapyon
【Crossroad①】
人生の時間を4分割で考えてみる

10代の頃はカメラがめちゃめちゃ好きで写真家になりたいと思っていました。
カメラのこと、機械的なものが本当に好きでした。まだオートフォーカスカメラが出始めたころのことですが、35㎜のリバーサルフィルムで撮るのが好きで、毎年3月に開催される日本橋高島屋のカメラショー(現在のCP+)にも必ず行っていました。他の人たちがみんなオートフォーカスで撮っていても、自分だけはキャノンのT90というマニュアルフォーカスの最後の機種をずっと大事に使っていた。
一般的な幅広い知識よりもマニアックな世界が好きで、一つのことに興味を持ったらその分野を深く掘り下げて攻め込んでやりこみをする習性が昔からありました。
大学卒業してから最初の10年間は産業電機と呼ばれる、工場などで使われる制御機器を作るメーカーで営業をしていました。私がいた産業電機業界は例えば製鉄所とか宅急便のベルトコンベアーなどの電気制御や、新聞輪転機の駆動制御などの特殊な生産設備を作る分野です。役割は営業でしたが、制御周りの基本設計的な工程も担当したり、現場に行ってお客さんと一緒にシステムを考えて提案していました。
社会人になった時に考えたことがあるんです。20台前半で就職して働き始めてから65歳まで、約40年間働くことを10年ごと4分割にして、これを大学4年間に例えて考えていました。
- 大学1年目(最初の10年間、20代~30代半ば)はまずは慣れるところからでまだ自分でも何やっているかよくわからない時期、
- 2年目(30代~40代半ば)解ることが増えてきて学びも成果も面白い時期、
- 3年目(40代~50代半ば)自分の選考した分野の知識がだんだん成熟していって独自に自分にしか出来ない工夫もしてゆける時期、
- 4年目(50代~60代半ば)は新しいことをやらなくともそれまでに勉強してきたことを基にして成果が出せる時期
になると予想していました。
【Crossroad②】
産業電機分野からのPython特化ベンチャーを起業
私が34歳の時、2004年頃、最初の10年間というタームが終わりかけた頃、産業電機業界全体の先行きには暗い雰囲気を感じていて、本当にこのままこの業界でよいのかと考えていました。
日経新聞の業界天気予報で産業機械の分野は雨ばっかり。ITだけはいつも晴れていてWeb分野なんかはすっごく楽しそうで明るく見えた。日本の産業電機はものづくりとして決して悪い業界ではないけれど一度離れようかなと思って、自分でできることとしてソフトウェアなどの仕入れの要らない業界に転身しようと思いました。自分自身でものづくりをしていなかったので、今度は自分でも創りたいなとは思っていた。
友達と何人かで話して一緒に起業したのだけれど、結局最後まで残ったのは私一人だけでした。起業の仲間何人かがPython製CMSのPloneが良いねって話してて、技術に詳しい人たちと出会えて、それが今に至るきっかけになってくれた。
当時は実はPython自体よりもアプリケーションとかフレームワークのほうに興味があって、Python製CMSのPloneのグローバルコミュニティを中心に海外との繋がりもでき始めていました。2005年頃は日本ではPHP全盛で、技術書もPHP/MySQLしか無かった時代でしたが、そんな時代にPloneに特化してニッチな仲間が集まり濃いメンバーになる。これが面白かった。
その頃の私のITプログラミングスキルとしては趣味や独学中心で実務の経験はなくまだ全然だったけど、チームに入らせてもらって業務を通じて覚えていきました。1人よりもチームで作ったほうが圧倒的に良いので、起業して一緒にものづくりできるチームをつくりたいと思っていました。チームメンバー集めたり、コミュニティ活動が好きで、そういった行動は当時も今もいい方向に寄与していると思います。
【Crossroad③】
スキルアップにつながるコミュニティ活動
起業前からZopeやPloneのコミュニティには顔を出していて、こういった活動は良いことしかないですね。友達や方向性が一緒の仲間ができる、なんといっても有識者へ質問がしやすくなる。メーリングリストなどの文字だけで面識のない人に質問しようとするのは抵抗があるけれど、コミュニティで関係性が先に作れていると、ちょっとした質問や依頼もやりやすくなる。
勉強会やハッカソンで自分の実力がどの程度なのかの指標にもなるし、自分も会社もスキルが伸びていっている実感がありました。
コミュニティでは本書いている人も身近に出会えるので、出版前のレビューに参加するとか、一緒に本を書こうという話になったりで、刺激にもなるし勉強になりました。本のレビューの良いところは、出版前に先に読める、しかも流し読みではなく真剣に読む、質問もできる、飲み会や懇親会で教えてもらったり話を聞きやすいというメリットがここにもあります。翻訳本の場合でも訳の解釈で議論する場に参加することはとても楽しく、こういった行動がスキルアップにつながると思っています。
【Crossroad④】
いま攻め込んでいるPython × Vue.JS

いまはVue.JSを攻め込んで習得しようとしています。私自身はReactなどでSPAとかのWebサイト全体を作る役割よりも、単体機能をVue.JSで作ることが多くなっています。
2016年頃からWebサービス開発でフロントエンド技術の重要度が増していることをすごく感じていて、仕事もフロント技術にシフトしているのに、自分だけはその領域は苦手ということがコンプレックスになっていました。
社員や協力会社のエンジニアさんもフロントエンド技術は普通に習得して仕事として成果を出していて、自分は概念や構造はわかっているけれどソースコードは見ていない状態でした。AngularかReactかVue.JS などは、長くPythonをやっているエンジニアなら多くの人が習得して業務でも使っています。
もうすぐ50歳になるので新しいことは覚えにくくなってくるし、新しいことを覚えなくても仕事としては成り立ってはいるけれど、それでは面白くない。自分は何もできないままでいいのか、できるようになったら幸せだろうなと。やっぱりなにか新しいことをやりたい、自分のものにすれば、仕事の幅も広げられると。経営者としてよりも一エンジニアとして、フロント技術を習得しない理由は無いし自分もやったほうが良いと思っていました。
わらしべ長者のような面白いエピソードがあって、年2回やっているPython mini hack-a-thon合宿でスキーを教えたら、恩返しにVue.JSを教えてもらって、そういう機会もあっていまも集中的に勉強しています。7月のPython mini hack-a-thon合宿中に朝から晩まで徹底的に教えてもらい、自分でも欲しかったアプリを合宿の最終日に急に思い立って作ってみて、その後も技術書読んだり、読書会参加したりビデオ学習なんかで集中してやりこんで、この2ヶ月でVue.JSがわかるようになってきた。
いま配信を続けているポッドキャストサイト(https://podcast.terapyon.net/)もVuePress(Vue.JS製の静的サイトジェネレータ)で自分で作りました。楽しいので仕事以外の時間で勉強とかの感覚ではなく時間を忘れて取り組んでいます。
【Crossroad⑤】
PyConJPの開催と一般社団法人の設立
2010年にPyCon APAC in シンガポールに参加したことがきっかけで、翌年の2011年からPyConJPとして日本でも開催しようということになりました。
2011年1月にPyCon mini JPとして初開催、2011年8月にはPyCon JPとしての本格的なイベントを開催し、2012年、2013年と座長をやってだんだん拡大傾向にあり今も参加いただける方はますます増えています。理事やスタッフの中にはもっとがつがつやりたいという人もいたり、スケールするやり方を考えてくれる人に恵まれて今に至ります。2013年3月に一般社団法人PyCon JP Associationとして法人組織をつくって、その時座長だったので代表理事に就任しました。私は代表理事として法人運営のほうをちゃんとやろうということになって、イベントのほうは鈴木たかのりさんに任せる方向になりました。Pythonに期待する領域もこの短い期間でも様変わりしていっています。
2012年ぐらいからAI・機械学習によるPythonの台頭を感じ始めていて、この勢いは2014年には本格的になってきました。これは日本だけが遅れているわけではなく全世界的にもすごい波になっています。日本だとWeb開発に選択されるプログラミング言語は今でもRubyはそこそこありますが、2015年ぐらいからWebサービス開発の仕事でPythonを使う機会は増えてきています。2018年ごろからはAI・機械学習がすごい勢いで盛り上がっているのは皆さんも承知の通りだと思うし、今ではPythonが標準プログラミング言語的に仕事でも顕著に使われ始めています。
派遣エンジニアの求人にもPythonが影響していて、Pythonエンジニア不足はベテランはもちろんのこと、実務未経験で独学だけの人でも採用が難しいという話をよく聞きますし、Pythonエンジニアがあまりにも居ないので自社で育てるしかないということになっています。プログラミング教育は小学生からも始まるし、今後IT教育が一般化していくなかでPythonはその中心にあるように思います。コンピュータサイエンスの基盤を支えるところにPythonが採用され始めているから、Pythonは今後も標準的に使われる時代はしばらく続くと思います。
【Crossroad⑥】
PyCon JPは今後も変わってゆく
そんな中でも変わってゆくのはコミュニティだと思っていて、特にPyCon JPは変わってゆく可能性はあると考えています。いまのPyCon JPは発表者と参加者が近いコミュニティです。今後新しくPythonに興味を持つ人はもちろんのこと、仕事で使わなくてはいけない状況での参加者が増えてゆくことを想定しています。
Pythonに十分に慣れ親しんでいる人だけをターゲットとしてイベント運営をするのであれば、こういった新しく入ってくる人たちを阻害することになります。PyCon JPの常連ベテランばっかりが楽しい会にすることは個人的に反対だし、みんなも願っていないと思う。もちろん古くからPythonを支えてくれている人たちも大事にしたいのでそれが良いか悪いかという問題ではなく、多様性を受け入れるという課題だと捉えていています。多様的に多くの人たちを受け入れたほうが、今後のためでもあります。
昨年のアメリカのUS PyConに参加して感じたことですが、US PyConではPythonを使っていない人も結構参加していました。「Python is Community」という表現があります。US PyConはPython技術を中心としたコミュニティであって、Pythonを使っているか使っていないかは次の問題であるという考え方で、そういう人たちも参加しているのだなと思いました。Pythonをメインで使っていない人もPyConはまた再度集まれる場所であるということだと思います。PyConに行くと新しい発見があり、楽しい友達、仲間がいて、凄い技術者もいて、それらが刺激になると思っている。たとえば「Docker」が初めて発表されたのは2013年のUS PyCon USだったと聞いています。新しい技術が生まれる瞬間に立ち会える良い会だと思っていて、こういったことが起こるコミュニティは稀有だし嬉しいことだと思っています。
とはいえ、多様性を持った大きなコミュニティというのと、常連ベテランを中心とした自分たちが楽しい会との2つがあっても良いとも思っています。今年2020年2月15日に開催した「Python 2 EOL Party in Tokyo」はPython2のサポート終了に伴って、古くからPythonを使っている人たちが昔を懐かしむ会として盛り上がったし面白かった。新しい人たちはのけ者にされてしまう会でもあったので間違えて参加された人には可哀そうではあったのだけれど、こういう試みはまたやってもいいかなと思っています。
「Python mini hack-a-thon」も来る者は拒まずにみんなを受け入れるけれども、PyConのようにみんなを楽しませようと頑張っているわけではなく、自分たちが楽しみたいことを優先している。
大学時代の友達と昔話、バカ話して飲むのが楽しいのと同じで、仲間内輪で飲むって楽しいわけですよね。それと同じようにコミュニティにも友達たちだけが集まって面白い場はあってもいいじゃないかって思っています。コミュニティには同窓会的な楽しみもあるので、両方ともオーバーラップさせたい。コミュニティでの楽しみ方をスマートにできたらよいですね。どう変わってゆくかは今後の新しい座長に託したいし、どういう未来を創るかはみんなで考えてゆきたい。
PyCon JPの未来は楽しみです。
【Crossroad⑦】
PyCon JPの日本や世界への使命<
法人であるPyCon JP Associationとして毎年語っていることで、Pythonに限らずコミュニティや勉強会はいまは東京に一極集中しているけれど、各地方に行けばPythonコミュニティが無いか、継続的な活動ができていないので「Python Boot Camp」という初心者向けチュートリアルイベントを開催することで日本各地のコミュニティづくりをサポートしてゆきたいという想いがあります。
PyCon JPは大きなイベントとして企業スポンサーが協賛してくれていて、PyCon JPの法人維持だけでなく地方開催も可能になって成り立っています。いまの地方開催の支援だけが正解だとは思っていないけれど、ここでも日本国内に対する多様性が大事だと感じており、ひとつのやり方だと思っています。
「Python Boot Camp」だったり、「PyCamp CaravanとしてのOSC(オープンソースカンファレンス)出展」でPythonを知ってもらったり、「PyLadies」の活動支援など、リソースが足りなくて他にもやりたいことはたくさんあるけれど、こういった活動も面白くなると思います。
いまはCOVID-19で地方と東京のオンライン開催することで距離はなくなっている、むしろ海外からも登壇・参加できるようになっています。日本国内的な視点だけでなく、Pythonは世界みんなで使っていくオープンソースだからグローバルに繋がっていくことも大事にしてゆきたい。「Python Software Foundation」の本部があるアメリカはもちろん、ヨーロッパ、アジアにもたくさん仲間がいて特にアジアではできたての大きなコミュニティもあるので、国内・海外両方の視点で海外カンファレンスに参加したり登壇したりすることも増えていって、楽しんでいってほしい。こういった活動に必要なのは技術力ではなく、興味とか集中力のほうが大事になってきます。
お金や時間のかけ方は有限なので難しいとは思うのだけれど、やってみると仲間も増えるし、攻め込んで集中してやると面白いこともあると思います。
【Crossroad⑧】
攻め込んでしつこく集中的にやる
まず、絶対やらなければいけないことはしつこくやり抜くこと、諄い(くどい)ことは良いこと。辞めるのはいつでもできる。
会社の経営もそう、PythonやPloneとのつきあいもそう、集中的にしつこくやれればものすごく定着する。車でもスポーツでも技術の習得は楽しくなるまでに時間がかかります。ある程度しつこくやって自分の手に馴染んで困らないところまで一度はやっておいてほしい。俺にはこんなもんだって途中であきらめてしまうのでは何も成せない。来た道は一回振り切ったほうが良い。特に仕組みとかオープンな技術を覚えることができれば、実は他のものも見通せるようになって応用もできます。
人生において選択を間違うこともあるかもしれないけれど、それでもとことんやりきったらそれは間違いではなくなる。選択した技術がもしも廃れてしまったとしても、そこで学んだ技術の本質は転移できる。勉強の仕方やがんばり方を学べるという経験も残る。
これからプログラミングやIT技術を習得しようとする人への私の信念としてのメッセージは「しつこく諄く、ものになるまでとことんやり抜く」これに尽きると思っています。
【編集後記】



寺田さんとのインタビューはリーディング・エッジ社の屋上にて夏の残滓がまだ色濃い夕刻に話し始めて、すっかり暗くなるまで様々なお話を聞くことができました。
今回掲載しきれないぐらい、もっと面白いエピソードもたくさん聞けたのですがこの記事はごく一部ということで、機会がありましたらご紹介したいと思います。
今は「逃げるのもよい」「つぶされてしまう前に無理はするな」という風潮ってありますよね。ネットでもこういった論調は喝采を浴びるような世の中になってきています。でも技術の進歩で人類に1ミリでも貢献したいと志すならば、しつこく集中的にやる、が正解かなと私も思います。改めて深く考えるきっかけをいただいた良いインタビューだったなと思います。寺田さんありがとうございました。
2020年9月 編集:岸慶騎 撮影:新井杏奈
kishi
(3 months, 2 weeks ago)